クマドリオウギガニ[ヤクジャマガニ]

(オウギガニ科 クマドリオウギガニ/ヤクジャマガニ属)

Baptozius vinosus (H. Milne Edwards、1834)

クマドリオウギガニ[ヤクジャマガニ](西表島の干潟)

石の下に潜むクマドリオウギガニ[ヤクジャマガニ]

オリンパスE-1 ZD50-200/2.8-4 f5.6 1/500 ISO400 自然光

西表島の干潟 5月

 潮が引き始めた頃、開けた干潟の水の中を横切っているやや大型のカニを見つけたので、近づいてみると本種でした。近づくとはさみ脚を振り上げて威嚇し、その場所に止まります。その挙動はイシガニに似ています。人がいる限り威嚇しっぱなしで、はさみを振り上げたまま砂に潜ろうとします。さらに近づくとはさみ脚を急に内側に閉じるようにして威嚇します。

 通常は写真のように、岩の下の隙間に潜んでいます。眼の周りに歌舞伎の「隈取り」状の模様があります。

 さて、本種の和名については現在は「クマドリオウギガニ」と表記されることが多くなっています。

 以下、素人が推測も含めてかなり適当なことを書きますので、話半分に読み飛ばしてください(私は本土人であり、琉球の人々の心性を論ずるのはおこがましいとは自覚しています)。

 西表島の古見に「ヤクジャーマ節」という民謡が伝わっています。本種はその主人公に見立てられ、大島・三宅により「ヤクジャマガニ」と命名されました。その後、ヤクジャーマはベニシオマネキの雄だとする仲宗根・諸喜田の説(『沖縄の貝・カニ・エビ』 風土記社 1973)など異論が提出され、酒井もこの説をおおむね支持し(『日本産蟹類』 講談社 1976)、「クマドリオウギガニ」という和名を提唱、現在ではこの名で呼ばれることが多くなっています。

 この民謡の解釈について論じられるだけの知識は持ち合わせていませんが、ヤクジャーマをそれなりに頑健な(それ故ある程度抵抗の意思がある)主人公と解釈するか、それとも弱々しい主人公と解釈するかにより、かなり違ってくるように感じられます。この民謡は、伊波普猷『古琉球』(沖縄公論社 1911)収録の「小さき蟹の歌」(大正5年初稿)に収録されています。本書では「ヤクジャマは赤色のシオマネキ?」とされており、南島人が首里政府や、その後に控えている薩摩に対する自分たちの心理(弱者の心理)を謡ったものと解釈されています。

 本種は食用とはされていないようですが、夜中に捕まえに来る、というのは食用のためというよりは沖縄島での労役などの徴用という意味に解せると思います(琉球王朝時代には徴用が行われていた)。徴用するならそれなりに頑健な者を捕まえに来るはずで、華奢なシオマネキ類(しかも赤いシオマネキならベニシオマネキ?)とは考えにくいように思います。なお、仲宗根・諸喜田は、本種は「食用対象種でないので漁に遭うことはなく、この唄では人間が干潟を歩くことにより穴の中にいるシオマネキ類のはさみがへし折られることを指す」と解釈しています。これに対し、三宅は「漁獲対象をノコギリガザミだとすれば特に解釈上不都合はない」としています(『原色日本大型甲殻類図鑑Ⅱ』1982 保育社)。

 歌の中では夜中に人間(権力側)がやってきて、「大きくて堅い」はさみをへし折られる辛さが謳われますが、これはある程度頑健ゆえとも解釈できましょう。実際、本種はやや大型で、通常は石の下に隠れますが、追い詰められるとはさみを振り上げて威嚇しますので、シオマネキ類のようにただ隠れるだけではなく抵抗します。また、「金爪」というほどシオマネキ類のはさみが頑丈なのかも疑問がありますし、シオマネキ類は昼行性ゆえ、夜中に捕まえに来るというのはそぐわない気がします。民謡では、どうせならガザミ(最も強大なノコギリガザミ類と考えられる)と婚姻して子を産みたいとの願望が歌われますが、これも抵抗の意志を感じさせます。

 「ヒルギ類の林の中なら隠れられる」とも謡っていますが、シオマネキ類は穴の中にしか逃げませんので、これもそぐわない感じがします。

 本種は私のような旅行者でも干潟を歩けば比較的容易に出会うことができます(数回出会っています)。しかも比較的大型で、赤い眼と隈取り模様で目立つ姿をしており、地元民にとっても決して珍しい種ではなかったでしょう(むしろ強い印象を残します)から、本種が主人公になる民謡が作られても不思議はない気がします。

 一方、石垣島(名蔵)に伝わる「あんぱるぬみだがーまゆんた」では、多くの種類の蟹が登場しますが、「ヤグジャーマ蟹」は踊りを踊る係になっています。石垣島の別の地区(大川)では、「ヤグジャーマ」は三味線を弾く係となっています。本種はガザミ類同様はさみ脚を振り上げて激しく威嚇しますので、「ヤクジャーマ節」のように唄や踊りなら解釈可能と思いますが、三線ならシオマネキ類の方がより相応しいのかもしれません。ただ、「あんぱるぬみだがーまゆんた」の「ヤグジャーマ」と、「ヤクジャーマ節」の「ヤクジャーマ」が同じカニを指すのかは判然としません。

 ヤクジャーマを本種と断ずるには根拠が十分でなく、それゆえ「クマドリオウギガニ」と呼ぶのが無難、ということに落ち着いているのでしょう。

 しかし、もし本種に「ヤクジャマガニ」なる和名が付いていなかったとしたら、南島の民謡に思いをめぐらすこともなかったでしょう。今では(少なくとも観光客にとっては)平和そうに見える西表島ですが、過去には琉球王朝による強制移住や徴用が、近代以降も炭鉱労働やマラリアの蔓延など、悲惨な歴史があったのです。

 なお、本種は「ヤクジャマガニ」の名で琉球郵便の3セント切手(1969)になっていました。


(参考)ヤクジャーマ節

 うさいの泊の ヤクジャーマ 作田節ば 詠めうる

 おれが隣の シラカチャや おれに合しゆて 三味線ば弾き 詠めうる

 晩春の 若夏の なるだら 漁られの事思い

 此処よ見ればん 彼処よ見ればん 炬の火や あからぱたらし走りきば

 大爪よ 金爪よ ぷちゃるぱたらし かかれの苦れしや

 何頼み いか頼まばど 我身の隠される

 とんだぶし ありんばぶし 頼まばど 我身や 隠される

 女童ぬ孕める子や 誰―子ねーら主ぬ前 うちな主ぬ 一夜の子たらてど思まりる

 生りる甲斐 産でる甲斐 ガザミのなかなが子ば 生し見やむな


 番所の波止場で、ヤクジャーマが作田節を歌っている。

 隣にいるシラカチャもそれに合わせて三線を弾いて歌っている。

 春が過ぎ、初夏になったら、捕まることが思いやられる。

 こっちを見ても、あっちを見ても、松明が赤々と、ぱちぱちと燃えて走ってきて、

 大きく頑丈なはさみをへし折られる苦しさよ。

 何を頼り、どこを頼って我が身を隠せばいいのか。

 オヒルギやヤエヤマヒルギを頼みにすれば我が身を隠せられるのか。

 「あの娘が孕んだ子は誰の子でしょうか、ご主人様」「沖縄から来た役人が一夜で作った子だろう」

 どうせ産むなら、ガザミとの間に子を産んでみたい。

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