本種はトミヨ属淡水型の近縁種で、分類は定まっておりません。トミヨ属淡水型に比べると寸詰まりで、体高が高いです。成魚でもたいていは全長3-4cm程度と小さく、頭が丸いなどの特徴があり、一定の分化を遂げていると考えられています。
かつては埼玉県、東京都の各所に生息地がありましたが、1970年頃までに次々と失われ、現在は埼玉県熊谷市の元荒川源流部に残存するのみとなっています。減少要因としては生息地の埋め立て、湧水の枯渇などが挙げられますが、地下水中の硝酸性窒素の増大(主として肥料に由来する)が発生段階で影響している可能性も指摘されています。
元荒川は湧水を水源とする荒川本川に隣接した小河川です。高度成長期の建設ラッシュで荒川の川砂利が大量に採取された影響で、元荒川の湧水は枯渇していきました。本川の河床が低下したため、湧水が本川の方に湧出するようになってしまったのです。このため昭和35年、埼玉県が汲み上げポンプを設置し、地下水を元荒川に流すようになりました。これはムサシトミヨのためというよりは養鱒のためで、当時は「何も汲み上げてまで・・・」との嘲笑を浴びたそうですが、これがなかったらムサシトミヨは地球上から永遠に失われていたのです。
その後、生息地は熊谷市や埼玉県の天然記念物に指定され、埼玉県環境科学国際センター、熊谷市ムサシトミヨをまもる会、熊谷市などの熱心な保全活動により、一定の個体群が維持されております。
元荒川のムサシトミヨの遺伝的多様性は極めて乏しく「ほとんど兄弟」のような状態とのことです。陸封性のトゲウオ類は過去にもおそらく何度もボトルネックをくぐり抜けていると思われるので、その過程で悪性の遺伝子は淘汰され、近親交配であっても絶滅を免れているのかもしれません。
写真は巣の中の卵に水を送っている雄です。
巣をなかなか見つけることができなかったのですが、流水部をしばらく観察していると、雄どうしの闘争らしい素早い動きが見られました。注意深く見ていると、同じ場所から動かない個体がいます。その近くに、ミクリの根元(分岐するより根元)にアオミドロ製でゴルフボール大の巣を発見できました。巣の一部が紐に縛られたような状態でミクリの根元に取り付けてありました。巣は比較的しっかりした植物に作られます。ミクリの分岐部よりも下に作られているため、流れによって巣が上に抜けてしまうことはありません。穴は流れの方向と平行でしたが、この方がファンニングしやすいのでしょう
縄張り内に雄が進入してくると、下側の棘を立てて追い払います。この行動はかなり素早いため、撮影は難しいです。
成魚は水草の生えている場所、底から2-5cm程度の底層に定位しています。雄の成魚は営巣の有無にかかわらずそれぞれ縄張りを持っているようで、他個体が進入してくると激しく追い払う行動が見られます。営巣していない雄でも、翌日同じ個体が同じ位置にいましたので、縄張りはそれなりに強固なようです
雄は巣の全周に渡って、腎臓から出る粘液で巣を固めています。この行動は比較的頻繁に見られます。
イトヨ類と異なり巣が立体的ですので、巣固めを行う頻度は高いように思えます
縄張りの近傍に雌が入ってくると、雄は求愛に向かいます。写真はその様子で、アオミドロの下に潜んでいる雌に雄が誘いを掛けています。この際、雄は下側の棘を立てます。棘は青白色で水中でもよく目立ちます。
雌はあまり動き回らず、障害物の下などでじっとしております。イトヨ類の場合は求愛を受けると雌が腹を突き出して中層に定位する行動が見られますが、本種ではそのような行動は見られませんでした
雄は雌に求愛し、ジグザグダンスを経て巣の前まで連れてきます。これら一連の行動は結構素早く、突然のように雄と雌が巣の前に並びます。
雄は入口を示し、雌はしばらく様子を窺います。この間、雄は興奮しているのか下の棘を立てています。写真はその状況です。雌は1分ほど巣の前で逡巡していましたが、突然遁走ました。その際、雄は雌を棘で突き刺したようで、白い腹を見せながら激しく絡み合った後、分離しました。
しばらく経って、雄は同じ雌を誘いました。この時雌は巣に突っ込み、しばらく巣の中に留まっていましたので産卵したと思われます。(この様子は息継ぎのためうまく撮影できませんでした)。雌は頭を出すとぴょんと出て行きました。その後すぐ雄が入り、すぐに出て行きましたが、放精したと思われます。なお、産卵後(?)の雌は、50cmほど離れたアオミドロの下で定位していました
1cmくらいの幼魚です。成魚は底層にいるのに対し、幼魚は水草が近傍にあれば割と浅場にもいます。ただし、いつでも水草の中に隠れられるよう、水草からは離れません。水草の上の何かをついばんで摂餌しています。