琵琶湖では移入種で、古くから移植が試みられました。第1次は明治43(1910)-大正8(1919)年で、三方湖、霞ヶ浦、宍道湖などから約1億粒の卵が導入されましたが、定着に至りませんでした。第2次は、昭和14(1939)-28(1953)年で、霞ヶ浦から15年間にわたり約13億粒の卵が導入されましたが、それでも定着せず、長らく漁獲対象に至りませんでした(井出充彦・山中治『琵琶湖で増加したワカサギの特性』滋賀県水産研報47、1998)。
それが、平成6年から急増し、以後、ホンモロコと入れ替わるように大量に漁獲されるようになりました。平成16年以降、ホンモロコの漁獲量は年間数t程度ですが、ワカサギは年間100-500tほど漁獲されています。かつてはホンモロコが毎年200-400t程度漁獲されていましたので、その地位は完全に逆転してしまいました。
ワカサギは遊泳性でプランクトン食であるため、琵琶湖ではコアユ、イサザ、ホンモロコとニッチ(生態的地位)が重なります。コアユの漁獲量は特に減っておりませんので、イサザ、ホンモロコに着目して経緯を調べてみますと…。
明治43-大正8年 ワカサギ導入(定着せず)。
昭和14-28年 ワカサギ導入(定着せず)。
昭和40年 西ノ湖でブルーギル初確認(昭和43年には琵琶湖でも確認)
昭和49年 オオクチバス初確認。
昭和58年-平成初頭 オオクチバス激増。ヌマチチブ初確認(平成元年)。
平成 2年 イサザ激減。以後平成3-7年は壊滅状態。
平成 4年 瀬田川洗堰運用開始。6/15時点の水位が0cmから-20cmへと下げられる。
平成 5-10年頃 ブルーギル激増(初期は特に南湖で激増)。
平成 6年 大渇水。南湖で水草繁茂開始。ワカサギ急増
平成 7-10年 ホンモロコ激減(南湖の産卵地壊滅)。
平成 8-12年頃 イサザ一時的に小康状態。
平成15年 瀬田川洗堰の運用改善開始。
平成21年- イサザ壊滅状態。(昭和30年代~平成20年代の間に、琵琶湖の水温は1度程度上昇)
こうしてみると、イサザよりはむしろホンモロコとの競合関係が予想されます。
もちろんこれだけで推測するのは危険なのですが(特に漁獲量に関しては、毎年一定の漁獲努力をしているわけではなく、獲れるときは狙うが、獲れなくなると狙わなくなるので)、以下のような変化が可能性として考えられます。
①平成初頭まで、ワカサギはホンモロコのニッチに長らく入り込めず、ごく細々と棲息してきたか、又は滅びていた(琵琶湖が本来の環境であれば、ホンモロコが一方的にワカサギを制圧する)。
②平成4-10年頃の間、瀬田川洗堰の運用、大渇水を契機とした南湖での水草繁茂を引き金として、水際のみで産卵し、砂底で成長するホンモロコは繁殖に強い影響を受けた。
③平成6年頃、ワカサギが何者かにより琵琶湖に大量に持ち込まれた(この時期、クルメサヨリやボラがある程度の量漁獲されているので、併せて放流された可能性がある)。
④ホンモロコが生態系変化の影響を強く受けた一方で、広範な産卵・生育場所を許容できる(流入河川があれば遡上、なくてもあまり場所を選ばず産卵する)ワカサギはほとんど影響を受けなかった。
⑤ホンモロコが激減したニッチにワカサギが入り込み、ほぼ置き換わった。
⑥瀬田川洗堰の運用改善などホンモロコを増やす試みがなされているが、南湖の産卵・成育場所が復活できず、逆転できない状態が続いている。
なお、わざわざ述べるまでもないですが、この間、在来種はバス、ギルなどの影響を継続的に受けていると考えられます(ホンモロコよりはイサザの方がより強く影響を受けたと推測されますが)。
ワカサギは現在、新たな「湖の幸」としての地位が固まりつつあり、漁獲量もアユに次いで2位です。ホンモロコを失った漁業者にとっては救世主かもしれません。しかし、仮に上記のような推測が正しかったとすれば、ワカサギが「幸」であり続ける限り、ホンモロコは帰ってこないということになります。
写真はごく浅場で群れていた稚魚です。まだ半透明です。ちなみにカネヒラの稚魚の群れやウキゴリの稚魚も同所的に見られました。
本種はプランクトン食のため、ホンモロコ同様広い琵琶湖を回遊しており、湖内で成魚に遭遇するのは極めて難しいと思われます。