本種は関東以北に分布するモツゴで、模式産地の品井沼(鳴瀬川・吉田川水系にかつて存在した広大な遊水池)での地方名「シナイモロコ」が和名の語源となっています(後にモツゴ属であることを明示するため「シナイモツゴ」に改称。)。
かつて本種は品井沼に大量に棲息していました。しかし、品井沼は度重なる干拓により戦時中までにほとんどが消失してしまいました(その後完全に消失)。シナイモツゴは農業用水路に残っていましたが、昭和30年代以降本格化した圃場整備と近縁種モツゴの侵入により住処を奪われ、絶滅したと思われていました。
平成5年、宮城県内水面水産試験場の高橋清孝氏らが旧品井沼周辺で魚類調査を行った際、3箇所のため池から本種が再発見されました。明治~昭和初期、品井沼の本種を山中のため池に移植したものが残存していたのです。一方、やや開けたため池や水路からはシナイモツゴを絶滅に追い込むモツゴ(交雑すると不稔になる。シナイモツゴ(デワモツゴ?)の頁参照。ヘラブナ移植に混入したものと考えられる)が発見されており、これとの隔離は維持しなければなりません。
さらに平成8年頃から、バス釣りブームがこの地方に及び、平成13年にはシナイモツゴが棲息するため池の一つにオオクチバスが放たれたことが判明します。これを機に、翌14年、「シナイモツゴ郷の会」が発足し、問題のため池で池干しが行われました。バスの稚魚が350匹駆除されました。以降、バスの侵入したため池では順次、池干しによる駆除が行われ、平成27年までにすべてのため池からバスを駆除することに成功します。バスが侵入したため池ではモツゴやタイリクバラタナゴは全滅していたため、バス駆除後のため池に順次シナイモツゴやゼニタナゴを放流し、生息地の拡大が図られています。
しかし、新たな「敵」が登場します。アメリカザリガニです。これまで高次捕食者たる外来コイやオオクチバスに捕食されていたアメリカザリガニが、天敵がいなくなったために隆盛してしまうのです(この現象を「中位捕食者の解放」という)。アメリカザリガニは水草を切断したり、食べてしまいます。すると水中の栄養分は植物プランクトンに移行し、これが大量発生します(水草は生えなくなる)。いわゆる「アオコ」です。アオコは毒を出し、冬になり枯死するとその分解に水中の酸素が失われるため、魚類に致命的な影響を与えるのです。他にアメリカザリガニが増加した要因として、毒性の強い農薬使用量が減少したこと、飼育した人が野外に放逐することなどが挙げられます。
シナイモツゴ郷の会では、アメリカザリガニを駆除するため、自動連続捕獲装置の開発や、アメリカザリガニの食材化などに取り組んでいます。
こうして保全されている池の一つに突っ込むことにしました。しかし、この池でもアメリカザリガニが大量発生しており、水草はほとんどありません。植物プランクトンが大発生して透視度は極めて悪く、30cm程度しかありません。ほぼ撮影限界です。アメリカザリガニは水中撮影においても天敵なのです。
こんな厳しい条件で撮るには、時期を選ぶ必要があります。ウシモツゴの撮影経験から、卵を守る雄は卵の側を離れないことが推測されるので、繁殖期を狙いました。卵は沈木に産み付けられるので、沈木を見て回ります。
かなり探し回った上、卵を守る雄2個体を見つけました。写真の雄は、真っ黒ではないですが、婚姻色はある程度残っています。沈木には卵はびっしり付いていました。あとで写真を見ると発眼卵でした。卵は沈木の裏だけでなく、表にも産み付けられています。この雄はあちこちせわしなく動き回って卵を守っていました。慣れると全く逃げないため、かなり寄ることができます。望遠側ではピントを合わせるのも、画面で追うのも難しいため、もっぱら広角側で撮影しました。
写真は、ヨシノボリ属の一種を追い払っている様子です。画面の右端にヨシノボリが逃げています。中層を追い、卵からかなり離れるまで追いかけ回します。またすぐに沈木に戻って卵を守ります。
ヨシノボリは沈木に取りつくと、頭を下にしては卵を喰います。ただ、ヨシノボリが止まっていると気がつかないようで、じっとしているヨシノボリは攻撃しません。
程なく雌が通りかかりましたが、雄は関心を示しません。孵化が近い発眼卵を守っていた雄は、卵を守ることに専念していたのです。
雌は黒色縦帯がはっきりしています。あとで写真を見ると、この雌の腹からは卵がはみ出していました。